【鬱病】死にたいけど死にたくない【適応障害】

どうも、りたいぷ!!のこまっちゃんです。

メンタル不調が極限のところまで来てしまったので記事にしておこうと思います。

今回の記事では、自身の鬱に関する考えなどをお話するつもりです。暗い話な上に、かなり長くなる予定ですので、知り合い以外の方には読み辛い内容かもしれないです。その点ご了承ください。

仕事をやめた当時は鬱病ということを周囲に公表しましたが、自分が隠したかったこともあり鬱の側面なんてあまり出さずに気楽そうに振る舞うようにしていました。

なので以降の話は知り合いにも詳しく話していないです。自分の日記代わりにぐだぐだ書いていきます。

ちなみに筆者自身が鬱病になるまでは、極端にメンタルの弱い人がなるもので自分には無縁なものだと思いこんでいました。(まぁ筆者はメンタルが弱い方だという自覚はありましたが)

まず初めに筆者こまっちゃん@koma29の自己紹介を簡単に記しておきます。

  • 96年生まれ23歳
  • 19年4月大手SIer企業に新卒入社
  • 20年1月、鬱により9ヶ月で退職
  • 20年1月~20年10月(6日現在)まで無職
  • 20年2月~20年10月(6日現在)椎間板ヘルニア治療中

要約するとこんなところです。

今現在何をやってるか言われると、転職サイト眺めたり、病院行ったりの繰り返し。たまーに遊びに誘ってもらったときは参加する、みたいな感じですね。本当に何もしていません。出来ていません。

周りの友達は皆凄く心配してくれていて、早く働けよ~なんて言ってくれていますが、実はその一言を聞くだけで本当に気分が落ち込んで身動きが取れなくなるくらいには精神まいってます。

1年近く無職の私を周りのみんながなんて言ってるかだったりも、人づてに聞こえてきたりして嫌になりますね。

なんでこんな状況になってしまったのか。入社後を振り返ってもう一度よく考えてみようと思います。

株式会社 ○士○○○入社(ガバガバ社名ぼかし)

入社当社はとても充実していました。まるで大学の講義のようだった2ヶ月間の全体研修。同期たちとも気があって休日にTDLに遊びに行くくらいには仲が良かったです。数百人いた研修生の中で私達が一番研修を楽しんでいたのではないでしょうか。

そんな楽しかった2ヶ月の研修が終わり、本社に配属された後も業務内容が自分自身の興味に合ったものだったため好きな仕事でした。この配属されたチームを「プロジェクトS」とします。

けれども10人のチーム内に2名ほど気が強く自己中心的な方がいて、私はその2人がとても苦手でした。私ともう1人の新人にはさすがに気を遣ってるのか直接言われたことはあまり無かったけれど、他のメンバーに対する人格否定に近しい悪口がひっきりなしに聞こえていた気がします。私のこれまでの浅い人生では、ここまで人に悪意を持って接している人に出会った経験が無かったため尋常ではないほどのストレスが溜まりました。

そんな人達には気軽に質問出来るわけがなく、それ以外のメンバーに積極的に話し掛けるようにしました。その甲斐あってかようやく仕事も少しずつ覚えことができました。業務内容がもともと自分の勉強していた領域だったこともあり、嫌味な古参の2人を除けばチーム内でもかなり仕事のできる方だったと思います。(腹立つのが嫌味な2人が一番仕事ができたこと。4年ほどプロジェクトを続けているようなので当然といえば当然だが)この時点で配属後1ヶ月ほど経過していましたが、私の1個上のかなり仕事のできる先輩が辞めることになりました。上司や他のメンバーには韓国人の彼氏と同棲することになり韓国に行くためと説明していたようですが、私含む何人かには本当の理由を教えてくれました。チーム内のメンバーに嫌な人が多すぎることや業務内容の偏りが退職の本当の理由だそうです…


ある日の朝、突然リーダーから隣のプロジェクト「プロジェクトX」に異動して欲しいと頼まれました。本来は同じチームの同期であるAくん(海外出身)が異動するという話を聞いていたため困惑しました。交代になった理由としては、異動先のプロジェクトXで、一番仕事が忙しくなるであろう時期に、Aくんが故郷に帰国したいからだそうです。その忙しい時期というのがお盆休みだったのですが、私自身断りづらかったのと、後日代休を取得することが出来るというので、異動を承諾しました。

異動というのはありえない話だとは思っていませんでしたが、まさか当日の朝に異動を命じられるとはさすがに予想していなかったですし、せっかくプロジェクトSの仕事を覚えてきたタイミングだったということもあり、異動はとても不安でした。会社の命令なので仕方なく2019年7月末〜2019年9月末の2ヶ月間、プロジェクトXの業務に携わることになりました。

最初は嫌々のつもりだったのですが、異動先のみなさんは良い人たちばかりで、チーム内の雰囲気も非常に良く、仕事に行くのが楽しみな位でした。欠点を挙げるとすればプロジェクトXは仕事のできない人が多かった印象で、プロジェクトに途中参加した私が教える側に回らなければならないほどでした。それでも皆さんとても感じの良い人たちばかりだったので、ストレス等は全くといっていいほどなかったです。

プロジェクトXで仲良くやってる間にも、隣のプロジェクトS内では嫌味な社員が悪口を言ったりしているところを何度も見ました。正直なところ2ヶ月経っ元いたプロジェクトに戻りたいとは思わなかったし、思えなかったです。

遂に2ヶ月が経ってしまいプロジェクトXが解散になりました。プロジェクトSに戻る時がきてしまったと、ありえないほど憂鬱でまさに最悪の気分でしたね。

私の代わりにプロジェクトSに残った同期のAくんはかなり仕事を覚えていて私と差が開いていたし、私と仲良くしていた社員さんが4人もいなくなっていました。代わりにチームに増えたのは中国人の女性3名(この時点で人員配置に不満が出始める)。ますますコミュニケーションを取るのが困難になって日々余計に疲れました。

仕事を覚えないと何を言われるか分からない。その思いを原動力にとりあえず頑張っていました。

新人は順番に先輩社員と2人で行くのが通例の名古屋出張も2回連続1人で行きました。先輩もいないしミスしたらどうしようとか余計なストレスが貯まります。

慣れない革靴で業務端末を持ちGPSの測位調査のため数10km歩き回り、足がマメだらけになったこともありました。傘が折れるほどの大雨の中、業務端末を持ってGPSの即位調査にも行かされました。本社からかなり離れた客先のラボまで1人で行き、深夜遅くまで調査を実施しました。本社に業務端末を返却しないといけないため、一度帰社し家に着いたのが午前2時近くになったこともあります。

新人が飲み会の幹事をやるというのは理解できるのですが、私の同期が中国人で日本語が不自由だったため、ほぼ毎回私が業務の合間に企画しました。飲み会当日も他の同期はとっとと帰る中、通勤時間の一番掛かる私が最後まで付き合わされたり、今思い返すと不満がめちゃくちゃ出てきますね。

これらの業務も本来やめさせられた(若しくは自主的にやめた)4人の社員がいれば交代で行うことができたり、マンツーマンで教えてくれる機会もできたでしょうに。にも関わらずその空いた穴を埋めるため?に配属されたのが、日本語もカタコトな中国人女性3名でした。海外メーカーとの仕事ではありましたが、業務上必要な言語は日本語のみだったので日本人として作業に当たれる人員が私くらいしかいなかったです(別に仕事を覚えているわけではないので行き当たりばっかり)

ただでさえ自分の仕事だけで大変だったのに、嫌味な社員が意味が伝わらないのを良いことに中国人の社員さんの悪口をブツブツ言っているのがほんとうにストレスになってしまい我慢できなかったので、中国人のメンバーの仕事も私が巻き取って作業した。

私自身別プロジェクトにいたため見たことも聞いたこともない作業だったうえに、先輩にチャットで質問しながら作業をするにしても、全くの未経験なのだから遠隔地でチャットの内容だけで100理解するなんて無理な話だと思いました。



ここまで頑張っても理不尽な文句は言われ、更に更に大変な仕事ばかり押し付けてくる。リーダーが人員配置について話しているのを横で聞いていたが、優秀な人は割と自由にさせてあげないといけないから勤務中の態度などは多めに見なければならない、逆に優秀でない人は何も言う権利がなく契約期間満了で切っていく。こんな内容しか聞こえてこなかったので改善の余地があるとは思えませんでした。

ここまででもかなり精神的にきつかったが、ふと後ろの席から聞こえた「次の名古屋出張もこまっちゃんさんにお願いしましょう」これで完全にとどめを刺されましたね。

翌日、休憩中一緒に過ごしている同期にも、すぐに心療内科に行った方が良いと常々言われていたことや、休日出勤などが重なり通勤中も体調が優れないことが多くなってきたので、人生初の心療内科を受診することにしました。

問診票を記入し、先生とお話すると割とあっさり「適応障害」という診断を受けました。診断はあっさりでしたが、症状としては重度だったそうです。

さすがプロだなと思ったのが、話してるうちに自分からなるべく言いたくなかったこともスラスラと喋ってしまっていたのが驚きました。

休職に入るための診断書も出していただけるようだったので、貰った当日にリーダー、主任、課長の3人に電話で休職したい旨を電話で伝えました。立場上のこともあるのでしょうけど、課長が凄く心配してくれて申し訳なかった。

翌日、休職のための手続きに出社し、自分のデスクで書類に記入しました。周りには事情を知っている社員が何人もいるため凄く緊張したし、正直別室での対応にして欲しかったというのは我儘なんですかね。

こうして2ヶ月の休職を手に入れ、その後復職することなく2020年1月に退職しました。

現在

そして現在に至るわけですが、私の感覚では未だに鬱病の症状は治っていません。むしろ悪化した気さえします。

確かに仕事のストレスから来る鬱の症状は改善されたかもしれませんが、仕事をやめてしまったという不安感、すぐに再就職できなかった不安感、コロナウィルスによる求人倍率の低下による更なる不安感、椎間板ヘルニアによる日々の生活への支障による不安感。

これらの要因が重なってここ数週間は本当に生きた心地がしません。(症状を調べた感じ躁鬱病もしくは双極性障害?)

ありがたいことにこんな私を遊びに誘ってくれる友人や、家族と話しているときはそれなりに気分も晴れるんですが、1人の時間になると一気に「死にたい」とさえ思います。でも死ぬ勇気なんてないので自殺するつもりは全くありません。というか出来ません。

最近芸能人の自殺に関するニュースをよく見かけますよね。自分がこんな状況でなければ「え…あの人亡くなったんだ」程度の反応で終えていたかもしれませんが、今の自分と重ねてしまい「どれだけ追い詰められていたんだろう…」だとか「自殺を選択するくらいぎりぎりだったんだ」とか色々考えてしまいます。

亡くなった方への誹謗中傷も普段より目に留まってしまい余計ツライ気持ちになりますね。

さて長くなってしまいましたが私が伝えたいのは2点です。

  • 鬱病はいつ誰がなってもおかしくない
  • 社会のレールから外れると戻るのは難しい

私のようにクソ雑魚メンタルを自覚している者でも、さすがに仕事を辞めるまで追い込まれるとは思ってもいませんでした。仕事ですよ?学生がアルバイトを3日で辞めるのとは訳が違います。そして辞めたあとも1年近く鬱を引きずって社会復帰できないとは思いませんでした。

丁度良いタイミングで鬱病に関するトピックが挙がっていたのでリンクを載せておきますね。https://news.yahoo.co.jp/articles/c96dbfebcba7d3f9071626829431b16ac8811a04?page=1

「鬱病なんて甘えだ」こういった考えは昨今ようやく見直されてきている風潮がありますが、まだまだ広く浸透してしまっている認識です。

自分自身が鬱病になる以前は、私もそういった考えを持っていたことを否定はしません。

ですが大した辛いエピソードを持たない私ですらこんな状況に陥って、ここまで追い詰められて苦しい思いをしていることを考えると、世の中にはもっと苦しい状況にいるにも関わらず誰からも理解されない、そんな人たちが多くいるのではと思いました。

私自身も含めて、そういった人達が1人でも多く救われるよう心から願っています。

この記事が同じような状況にいるかたの目に留まれば嬉しいです。